わたしと彼の一時間十八分三十七秒
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【00000000000】
ケイタイのディスプレイに並べられたゼロの番号を見て、ぞくっとした。
おそらくユウキだ。それはいい、ユウキから電話がかかってくることは予想していたから驚かない。ただ、ゼロしかない番号のせいで、不吉な予感がした。
わたしは恐る恐る通話ボタンを押す。
「もしもし」
『うそ……、つながった!』
――女の声?
『ホントにつながってる……。聞こえてるんでしょ、ワタシの声』
間違いない、女の人の声だ。
驚いた。なんでユウキじゃないの……!
ゼロで並べられた奇妙な番号だから絶対ユウキだと思っていたのに。
いまわたしが電話している相手は一体誰?
――でもこの女性の声、どこかで聞いたことがあるような気がする。わたしは彼女を知っている?
「……あなた誰ですか?」
『やっぱりそうだ。そうだったのね。アナタの声を聞いて確信した。こんな秘密があったなんて……』
電話の相手は一人で驚きながらも、ああそうか、と納得している
『念のため確認しとく。アナタ、綾瀬エリで間違いないわね?』
「え、なんで――」
この人わたしの名前を知ってるの……! いや、ユウキのケイタイにアドレスが登録してあるからか。
「ええそうよ。わたしは綾瀬エリ。あなたは誰なの……」
『ワタシも――綾瀬エリよ』
は?
と疑問符を浮かべ、どんな言葉を言えばいいのか途方に暮れていると、電話の相手、自称綾瀬エリが続けた。
『いきなりもうひとりの綾瀬エリが出てきて混乱してると思う。けどワタシはアナタなの』
眠気が吹っ飛んだ。
「そんなばかなこと……」
あるはずない。
とは言い切れなかった。
電話の相手はどこかで聞いたことある声だと感じていた。そう、いま気づいた。
この声は、わたしの声だ。
「信じられない……」
『今朝からの行動を一から言ってワタシが綾瀬エリだと証明することもできるけど、このケイタイのバッテリーがもう少ししかないからそんなことに時間割いてる暇ないの。他に伝えたいことがある』
もうひとりの綾瀬エリは早口で急迫しているようだった。しかし言葉のひとつひとつはハッキリと聞こえ、力がこもっていた。
『正確に言えば、アナタから見てワタシは未来の綾瀬エリになる。ユウキの使っていたケイタイに秘密があったの。いまワタシはユウキの使っていたケイタイで電話してる。で、このケイタイなぜだか知らないけど過去の時間につながるようになってるのよ。いまそっちは何時?』
「八時四十分だけど……」
「やっぱり時間がズレてる。こっちは十時十分よ。一時間半のズレか……」
時間のズレ……。
確かにユウキと話しているときチクハグというか、違和感があった。でもその違和感はどんなときだっけ。えっと、えっと、あれは――ああ、そうだ。ヨシムネを見ていたときだ。
ヨシムネが始まろうとしていたときにユウキは終わったと言って電話をかけてきた。わたしから見てユウキは一時間半先の未来にいる。ヨシムネは一時間放送の番組だ。わたしが見始めたとき、彼の時間軸ではヨシムネは既に終わっていたんだ。
過去につながる不思議なケイタイ。ケイタイ……?
「……あ」
過去とか未来とか時間のズレとか、確かにそれも大事だけど、もっと大事なことがある。
「ユウキのケイタイを――どうしてあなたが、綾瀬エリが使ってるの?」
綾瀬エリはユウキと会うはずがない。ないのに未来の綾瀬エリはユウキのケイタイを使っている。
それはつまり、彼と会ったということだ。
わたしが質問すると一瞬の間を置いてから、未来の綾瀬エリが言った。
『……ユウキ、消えちゃったの』
「消えた?」
『考えて考えて、ワタシはやっぱり彼と会いたかった。約束の時間には一時間半遅れたけど会いに行ったの。けどダメだった。ワタシが駅のロータリーに着くと、ユウキがいたの。彼がワタシの名前を呼んだ瞬間、どんどんユウキが透明になって消えちゃった……』
未来のわたしは泣いているのだろうか、声が震えている。
『ユウキがね、消える前にケイタイを渡してくれたの。けどケイタイ渡されても何ができるわけじゃない。途方に暮れてたけど、とにかくケイタイをいじっていたら、このケイタイの番号が出てきた。【00000000000】ってさ』
「そうか……。どうりで不吉な番号だと思った」
ピンときた。わたしの嫌な予感は当たっていたのだ。
「ケイタイの番号が、ユウキがこの世にいられる時間……ってこと?」
『おそらくそう。ユウキのケイタイの番号はそのつど変化していた。いや、変化じゃない。減っていたの。ワタシが会いに行ったとき、ちょうどゼロになったから彼は消えた』
「そんな……」
がくっと膝の力が抜けそうになる。さっきまでうまく働いてくれていた脳は凍りついたように急停止した。
もうユウキと会えない。
――でもそれってわたしが望んでいたこと……。
『ここまでは全部前置き。ワタシが本当に伝いえたこと、それは――いますぐユウキに会いに行って』
未来のわたしの声がブルブルと震えているように感じた
『一時間半前のいまならまだ間に合う。時間が経つと彼は消えちゃうかもしれないけど、一緒に文化祭をまわれるのよ。ワタシから過去の綾瀬エリへ最初で最後のお願いになる。ユウキと楽しい時間をすごして』
未来の綾瀬エリは泣きそうな自分を隠すように声を大にしているように思えた。
「その願いは……きけない」
ユウキが消える。それって裏を返せば未練を残さず、ひとりで生きていける。
ああそうよ、これからわたしはひとりで強くなろうって決めたんだ。
「あなたが本当に未来のわたしなら、いまのわたしの気持ちだってわかるでしょ。もうユウキと関わらないと決めたの」
『ワタシも一時間半前そう思っていた。でもね、ひとりでわたあめ食べて、ひとりでバンドの演奏聴いて、ひとりでいるとね、なんか胸のあたりが苦しくなって、笑顔を絶やさない周りの光景見ると悔しくなって、ユウキに会いたいという気持ちがどんどん溢れてきて……もうひとりじゃいられないのよ綾瀬エリは!』
「違う! いまは一時的に弱くなっているだけ。ひとりでいればまた強くなれる」
外人と言われようと、ひとりでお弁当たべてても、慣れるもの。これかもずっとひとりで生きて行けるもの。
『いいえ。アナタの考えこそ違う』
なのに綾瀬エリは、綾瀬エリを否定する。
『アナタは本心から逃げてるだけ。ワタシはユウキがいなくなって気づいた。綾瀬エリは初めから強くなんかなかった。強さを装っていただけ。外人とバカにされて冷静に処理していたつもりだけどやっぱり辛かった。言われると心にぐさっとくる。あの感覚だけは慣れない』
「…………」
『一緒にお笑い番組の話ができる友達だって欲しかった。いや、別にお笑い番組の話ができなくてもいい。登校中おはようと挨拶してくれて、帰りはさようならと言ってくれる友達がいれば十分。綾瀬エリは心の奥底でいつだって味方を求めてた』
「嘘よっ! 松永くんに裏切られてからそんなこと思ってない!」
『嘘? なら言ってあげる。どうしてユウキから電話が来るのを楽しみにしていたの?』
「それは……」
……言葉に詰まる。
『代わりに答えてあげる。ユウキという友達ができて嬉しかったから』
「で、でもユウキがわたしを弱くした。だから自分の意思で離れる決断をした。また強い自分に戻る必要があるの」
『エリ、いい加減に気づきなさいよ!』
耳に刺激が走るほど大きな声で綾瀬エリは怒鳴った。
『アナタは松永くんが裏切ったように、ユウキも裏切るんじゃないかと内心では怯えているのよ。だから会いにいけない。強い自分になるといういいわけを使って気持ちをごまかしてるだけ』
……言葉が出ない。どうして反論ができないのよ。
『外人と馬鹿にされることも、金髪が人目に引くことも、友達ができないことも、ひとりで何でも耐えてきた。耐えることが強さだと思った。でもそれは本当の強さじゃない。ユウキと会い、自分が日本人でもあり、イギリス人でもあると認めてもらうことが本当の強さだ!』
ガツンと硬い棒で頭を叩かれた気分だった。
同じ綾瀬エリなのに、どうしてこうも考え方に違いがあるのかわたしにはわからない。ただ一時間半の経験が綾瀬エリを大きく変えたというのはわかった。
――本当の強さ……。
『臆病だったワタシが偉そうに言えることじゃないかもしれない。でもアナタには後悔してもらいたくないの。綾瀬エリは周りに自分を認めてくれる人がだれもいなかった。お母さんにだって嘘で塗り固めた自分を演出しなくちゃならなかった。いままで運がなさすぎたのよ、綾瀬エリは。けどいま、綾瀬エリの前には味方になってくれる人がいる。だから会い――』
ブツン。
『――――』
「……どうしたの。ねえ、ねえってば!」
聞こえてくるのはツーツーという機械的な音だけ。通話が切れたんだ。急いでかけなおすがつながらない。くそっ。
電話に集中していたせいでいままで意識してなかった文化祭の光景が目に入ってくる。誰もが心の底からはしゃぎ、笑い、にぎやかで幸せそう。
わたしも心の底から笑えるだろうか。
嘘の笑顔じゃなくて、屈託なく、優しい笑顔でいられるだろうか。
わたしが笑顔でいられた時間――それはユウキと電話しているときだった。
「……行こう」
現在八時五十分。駅のロータリーまでは走れば十分で着く!
日ごろ運動してないのに走ったせいかすぐ息があがるし、脚が笑ってる。
「着いた……」
時間は九時二分。息を整えて、ユウキがいるか周囲を探る。行き交う人々の群れ、背広姿の人や清掃員の人、目を凝らしてひとりひとり確認する。
あるひとり男の子に目を留めた。キリッとした顔立ち、包容力のある瞳、わたしより背が高い。手には折りたたみ式のケイタイを持って、開いては閉じ、開いては閉じと繰り返してはため息をついていた。
彼はケイタイを開いたあとやっぱり閉じ、視線を前に正すと、わたしと目があった。
「エリ……?」
わたしを見てぼそりと呟いた。
金髪で青い瞳。ハーフだからわたしが綾瀬エリだとすぐわかったんだ。
「幽霊なのに脚ちゃんとついてるじゃない」
「僕が見えるの?」
「ええ、しっかり見えるよ」
そう言うとユウキはホッと胸をなでおろし、にっこり微笑んだ。
ユウキに言いたいことはたくさんある。もうユウキがこの世にいられる時間が少ないこと、ニーソコタローのこと、過去に電話できるケイタイのこと。
でも、一番最初に言うべきことは――
「遅くなったね。迎えに来たよユウキ。一緒に行こう、文化祭に!」
残り許された時間。
それはわたしと彼の――
エピローグ
とある病院のC棟六○三号室の前にわたしはいる。
ネームプレートを確認して、六○三号室に足を踏み入れた。
四方を真っ白な壁で囲まれた広い個室。窓から差し込む光が花瓶に入れられた花を色鮮やかに照らす。
出入り口の右側にベッドと医療機器がある。
そのベッドにユウキは寝ていた。
そっと近づく。心地よく昼寝でも楽しんでいるかのように、ユウキの寝顔は安らかだ。重症患者とは思えない。
「やっと来たよ、ユウキ」
「…………」
話しかけても、彼から返事はない。聞こえるのは医療機器のピッ、ピッ、という機械的な音だけ。
「ずいぶんと探したんだから」
「…………」
「よし、とりあえずわたしの近況報告するね。えっと、そうだそうだ。友達ができました! 同じクラスの中島さんっていう人なんだけど、彼女いっつもひとりで本ばっかり読んでの。勇気だして話しかけてみたらこれが結構おもしろい子でさ。しかもニーソコタローが大好きなのよ!」
「…………」
「あとね。こないだニーソコタローのライブ見に行ったの。やっぱりなまで見るとぜんぜん迫力が違うね。笑ったなぁ。」
「…………」
「はやく目を覚ましなよ。そしたら今度一緒にニーソコタローのライブ見に行こう」
「…………」
ユウキから反応はない。彼は安らかに眠っているだけだった。
眠り続けているユウキを見ていると胸が苦しくなった。彼はこれからもずっとこんな状態なのだろうか。もう二度とあの陽だまりのような温かい声は聞こえないのだろうか……。
ユウキと会ったらどんな状態であれ、笑って過ごそうと思っていた。けど、不意に涙がこぼれた。
一度涙がこぼれると次から次へと洪水のように涙が溢れてくる。
「……ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね」
ユウキに背を向けて、ドアに手をかざした瞬間――
「……ああ、行こう。ニーソコタローのライブ」
懐かしく、温かみがある聞き慣れた声がした。
振り返る。ユウキはうっすらと目を開き、わたしを捉えている。
わたしは急いでナースコールを押した。