わたしと彼の一時間十八分三十七秒

   you

   α 

 ――神様、お願いがあります。
 わたしは最低です。自分の存在を認めてくれようとしていた彼を見捨てました。
 一度起きてしまったことをやり直せないのはわかっています。どれだけ悔やんでも過去を変えることはできません。わたしは彼がいなくなったこの世界で後悔を引きずって生きていかなくてはいけません。
 でも、この世界と違う世界があるのだとしたら、わたしと彼が笑いあえる幸せな結果を与えてやってください……。
 彼が最後に手渡してくれたケイタイ電話のボタンを押した。

   1

「あっち行けよ、外人」
 運動場で鬼ごっこをしようとしているグループにわたしが入ろうとすると、そう言われた。みんなわたしから離れていく。気がついたらわたしの周りには誰もいなくて、いじめられていた。
 わたしのお母さんは日本人で、お父さんはイギリス人だ。わたしはそんな両親の子供、ハーフだ。
 髪は金色、瞳の色は青、日本人に比べて高い鼻。容姿が父よりのせいで、小学校ではクラスのいじめっ子たちから『外人』とバカにされた。
 生まれてからずっとわたしは日本にいる。
 小学校でわたしは日本人でもあるしイギリス人でもあると自己紹介した。でも純粋な日本人に比べて、容姿はどう見ても外人だった。だから日本人でもある、という主張はいじめっ子たちからしてみたらおかしなことだった。
 クラスのいじめっ子たちにいじめられて教室の片隅で泣いていた。
 救いの手を差し伸べてくれる味方はどこにもいなかった。
 だからわたしが強くならなくちゃいけなかった。
 中学生になっても状況は変わらず孤立していた。いじめも続いた。だけど小学生だった頃のわたしに比べて精神的に強くなった。ひとりでいても平気だった。高校では露骨にいじめられなくなった。けどわたしの金髪は人目につく。わたしが廊下を歩くと、学校の誰もがわたしの金髪に何か言いたげな視線を送る。わたしが目を合わせようとするとその誰かは目をそむける。そんなことがあるたびみぞおちあたりから嫌悪感がこみ上げてきてはぐっと飲み込む。
 平凡で単調、奥行きのない高校生活を送っていた。なにもしなくても時間の流れは早いもので、高校一年の夏を終えていた。
 夏休みはひとりで過ごしていた。友達なんていなかったから。
 わたしの交友関係の少なさはケイタイのメモリが物語っている。ケイタイのメモリには家族の電話番号しか登録されていない。夜に出歩くこともないし、友達と連絡取ることもないのでケイタイなんて不要だった。
 ――けど。わたしのケイタイにかかってくる一通の電話が、わたしの人生を大きく変えた。

   2

 それは突然の着信だった。
 わたしは自分の部屋のベッドに横たわりながら、毎週楽しみにしているお笑い番組《ヨシムネ》を見ていた。ヨシムネはお笑い芸人たちがリアルタイムでコントをする番組で、今日はトリにニーソコタローというわたしの大好きなピン芸人が出るのだ!
 番組も後半にさしかかりもうすぐニーソコタローが出るだろうと思っていた矢先、机に置いてあるケイタイの着信メロディが流れた。
 最初は聞き間違いだと思った。わたしのケイタイを鳴らす人はほとんどお母さんだ。でもわたしはいま家に居るんだから、お母さんが電話するわけがない。
 じゃあ誰?
 ベッドから体を起し、軽快なメロディが流れる折りたたみ式のケイタイを手にする。親指ではじくように開きディスプレイを見た。
【38599325432】
 見慣れない番号だった。十一桁の番号だけど、090や080からの番号ではないので相手はケイタイじゃなさそうだ。
 一体誰なんだろ……?
 知らない番号だから電話を取ろうか迷う。早く切れてくれればいいけど……切れる気配がない。仕方なくわたしは電話を出ることにした。
「もしもし……」
「つ、つながった!」
 電話越しにひどく驚く声が聞こえた。その驚きの声があまりに大きいのでわたしの耳に刺激が走った。一体なんなのよ!
「あ、あの、その、ごめんなさい。電話切らないでやってください」
 男の声……だと思う。
 いきなり驚いたと思ったら今度は一転していきなり謝罪。わけわかんない。
「間違い電話ですか……?」
「違うんです。間違いというよりむしろ成功です。はじめて誰かとつながることができました」
 はてな、とわたしは首を傾げた。
「電話切りますよ」
「す、すいません! ちゃんと説明するので切らないでやってください!」
 電話の向こうで謎の人物がケイタイに泣きついている姿が浮かんだ。
「せめて事情だけでも聞いてやってください……。その、かなり変なこといいます。でも大事なことなんです。冗談とかじゃなくて真剣なんです。怒らないで聞いてもらえますか……」
「なんですか」
 わたしはぶっきらぼうに言う。
 テレビをちらっと見る。電話に集中していて忘れていたけど、ヨシムネにニーソコタローが出ていた! 
 ビデオ撮ってない……最悪。
 早くこんな電話切って番組を楽しみたかったけど――なぜかこの電話は容易に切れなかった。
「実は――」
 電話の相手がごくりとつばを飲んで、言った。
「――僕、幽霊なんです」

 幽霊なんてふざけた自己紹介した時点で電話を切ってやろうと思ったけど、興味が勝っていたせいか、つなげたまま話を聞いていた。
 わたしがいま電話している相手はユウキという名前の男の子で、幽霊らしい……。
 彼は今年の四月、高校に進学した。わたしと同い年だ。
 しかし入学してすぐ交通事故にあった。
 彼の意識が回復してまず目に映ったのが、目を伏せたまま病院のベッドに寝ている自分自身だった。なんで自分の体がここにあるのにベッドに寝ているのだろう。しかもベッドで寝ているもうひとつの体の近くには重々しい医療機器がある。
 寝ている体の側で両親が泣いていた。僕はここにいるよ、と両親に話しかけてみたが見向きもしてくれない。両親の肩に触れてみたが、なんと自分の腕が肩をすり抜けてしまった。大声をだしたりしてなんとかしてアクションを起そうとしてみたが反応してもらえず、無残な結果に終わった。
 彼は両親と病院の先生が話をしているのを聞いて、自分がどうやら意識不明の重体だということがわかった。その瞬間、いま動いている自分の体は幽霊なのかもしれない、ということを彼は感じた。
 自分は本当に幽霊なのだろうか。でも、もうひとりの僕はまだ死んだわけじゃない。一体どういうことなのだろう……。
 彼は疑問を抱いたまま何気なくポケットを探ると、ケイタイを見つけた。真っ白で光沢があり、手に持つとちゃんと質感を感じることができた。
 これでなんとかなる! 
と思った彼は真っ先に家に電話したが、つながらなかった。何度も何度も電話してみたがダメだった。
 とにかく彼はどこかに自分が存在してることを訴えたかった。そこで警察、救急車、番号案内、ありとあらゆるところに電話してみるが、どれもつながらない。
 がむしゃらになった彼は適当な番号に電話をかけた。毎日毎日、電話をかける。しかしつながらない。
 それでも誰かとつながることを夢見て電話をかけつづけた。
 五ヶ月間、諦めず適当な番号にかけ続けた結果、わたしのケイタイにつながったというわけだ。
 ――以上、彼がわたしにしてくれた説明終わり。
「……信じてくれる?」
「信じてもらえると思う?」
 尖った口調で、質問を質問で返してみる。
「難しいよな……」 
 はぁ、と彼からため息がもれた。
 彼はわたしと同学年だと知ったら敬語で話さなくなった。まぁ、別に気にしてないけどさ。
「もしかしてさ、怒ってる?」
「それなりに。あなたと電話しててヨシムネちゃんと見れなかったし……」
 さっきまでやっていたヨシムネは終わりニュース番組が始まっていた。ああもう、ニーソコタローを見逃したのは悔やまれる。
「え、ヨシムネ見てるの! 僕も毎週見てるんだ。今日は最後に出てきたニーソコタローが最高におもしろかった!」
「だからわたしあなたと話してて見れなかったの!」
「ご、ごめん……」
 ああくそ、悔しい。
 ニーソコタローが出ることを一週間前からずっと楽しみにしてたのに! なんで彼はわたしと電話しながら番組見るなんて器用なことができるのよ! 
 ……知りたい。今日のニーソコタローがどんなギャグで観客を笑わしたのか。でも赤の他人に今日のニーソコタローどうでした? なんて訊くのは恥ずかしすぎる……。
「でもヨシムネって一時間半前に終わったはずなんだけどな……」
 彼はなにやらごにょごにょ言っていたが、私は無視した。
「ねえ……」
 とわたしは続ける。
 もうこのさい、恥を捨てよう。
「今日のニーソコタローやっぱ最高だった……?」
 心の底から生まれる興味には勝てなかった。
 一瞬、電話が切れたんじゃないかと思うほど応答がなかったが、彼は目を覚ましたように反応した。
「う、うん。新ギャグとか披露してたし」
「新ギャグ! 詳しく聞かせて!」

 わたしは彼からニーソコタローの新ギャグについて根掘り葉掘り聞かせてもらった。彼もニーソコタローが大好きでとても盛り上がった。会話に夢中になっていたせいで時を忘れ、気づいたら三十分も彼と話していた。
「ごめん。わたし夢中になっちゃって……」
 今度はわたしが彼に謝っていた。
「別に気にしなくていいよ。むしろ楽しかった。こんなに人と話したのは久しぶりだったからさ」
「わたしもこんなに誰かと話したのは久しぶり」
 いままで気づかなかったけど、家族以外の誰かとまともに会話したのはいつぶりだろうか。興奮しすぎてのどがかれちゃってる。
「もしよかったら……また電話してもいいかな……?」
 彼は肉食獣におびえる小動物のような声で言った。
 考える。彼は顔も素性も知らない相手だ。しかも自称幽霊……。でも幽霊のわりに声は透き通っていて、温かい。
 ――少しぐらいなら……。
「……いいよ。でも昼は学校だから夜にして。あとヨシムネがやってる時間は電話しないでよね」
「そうする。僕もヨシムネ見たいしね」
 それでさ、と彼は切り出す。
「電話を切る前にさ……君の名前教えてくれる?」
「わたしの名前は綾瀬エリ」
「それじゃあエリ。また電話するよ。おやすみ」
 わたしもおやすみと言うと、電話は切れた。
 ふぅ、と一息ついてベッドに倒れこむようにして体を預ける。
 いっぱい話したからなんだか疲れた。でも、スポーツをした後みたいな心地よい満足感がある。
 人と話すことがこんなにも楽しいものだなんて思ってもいなかった。学校で誰とも話さないぶん、今日の会話はなんだかとても新鮮だった。
 幽霊か……面白い人だな。

   3 

 夏休みが終わり、学校が始まった。来月には学校で一番盛り上がるだろうイベントがある。文化祭だ。
 うちのクラスは文化祭でお化け屋敷をやることになった。
 クラス委員長の朝倉さんが材料班、お化け役班、舞台セット班、などなどクラスの人たちの班分けを進めていった。
 クラスの人たちと馴れ合わないわたしにとってお化け屋敷なんてどうでもよかった。頬杖をついて外の景色を眺めていたとき、わたしの名前が呼ばれた。
「綾瀬さんはお化け役がいいんじゃないかな。ほら、あなたってハーフだけど容姿は外人みたいじゃない。女ドラキュラなんてどう? あなた金髪だしすごいリアルじゃん」
 教卓の前に立って仕切っている朝倉さんが口角を吊り上げてわたしにそう言った。
 周りの人間たちも、そりゃ名案だ、なんて顔してる。
 冷めていた心が熱を感じはじめる。お腹の底からぐつぐつと怒りの感情が湧き上がる。
 ――こいつらはいつだってわたしを外人としか見ない。
 ぐっ、と拳を握り、怒りを殺す。大丈夫、いつも耐えてきたじゃないか。いまのわたしは強い。昔みたいに外人だとバカにされてひとりで泣いているあのときとは違う。
 無視すればいい。人のことをバカにするよう人間たちの戯言だ。程度の低い人たちを相手にすると自分まで低くなる。
こんなやつらになんと言われようと悔しくなんてあるものか。
「わたし、材料班でいいです」
 できるだけ感情を表さず、冷たく言った。
「あらそう。残念ね。金髪のドラキュラ迫力あったのに」
 そのときの朝倉さんの顔は周りから見ればさぞ普通の表情だっただろうが、わたしから見たらいじわるな魔女にしか見えなかった。

「ただいま」
 家に帰る頃には六時を回っていた。部活をやってないわたしとしては遅いほうになる。
「おかえりなさい。ずいぶん遅かったわね。どうしたの?」
 キッチンからお母さんがエプロン姿で出てきた。料理を作っていたのだろうか。
 わたしの家にはいつもお母さんしかいない。お父さんはイギリスで仕事をしており、日本に帰ってくるのは年に二回。向こうでの仕事が忙しいのだ。それでもクリスマスのときには絶対帰ってくる。週に一度電話だってしてくれる。 
「今日は友達と文化祭の準備してたの。だから遅くなっちゃった」
 お母さんにとびっきりの笑顔を振りまいて靴を脱ぐ。
「お母さんも高校生のときには友達と一緒に文化祭の準備したわ。友達と何かするのはいい思い出になるわよ」
「せっかくの高校生活だもんね。楽しまなきゃ」
 笑顔を絶やさぬままわたしは自分の部屋まで戻った。扉を閉め、鞄を投げ捨てるように置いてからベッドに倒れこむ。
 ――わたしはいつものようにお母さんに嘘ついた。
 だけど罪の意識は少しもない。お母さんに心配かけないためだもの。
 材料班の人たちは部活、習い事、病院、など理由付けして集まらなかった。よろしく、と言われてわたしはひとり、お化け屋敷の材料をホームセンターに集めに行った。お化け役班や舞台セット班の人たちは助けてくれなかった。
 わたしに友達なんてひとりもいない。
 でもお母さんにそんなことは口が裂けても言えない。お母さんはわたしが友達多くて、幸せな学生生活を送れていると思ってるはずだ。
 それでいい。わたしが上手く演じ続ければ、お母さんが苦しむことない。

 夕飯を食べ終えて自分の部屋でゆったりしているときだった。ケイタイの着信メロディが鳴ってハッとした。ユウキからの電話だ。
 わたしは急いで電話をとろうとしたのだが、ディスプレイに表示されている番号を見て躊躇した。
【27287650053】
 登録しておいたユウキの番号とは違う、知らない番号からの電話だった。
 とりあえず出てみることにした。
「もしもし」
「あ、もしもし。こんばんはエリ」
 この声は――ユウキだった。
「こんばんは。の前に、ケイタイ変えた?」
「え? 変えてないけど……どうして?」
「昨日と違う番号でかかってきたから。なんで番号が違うんだろうなと思ってさ」
 う〜ん、とユウキは電話越しに唸っていた。眉間にしわを寄せて考えている姿が脳裏に浮かぶ。
「幽霊の僕が使えるケイタイだからかもしれないけどさ、このケイタイちょっと変なんだ。料金払っているわけじゃないのに電話できるし、エリ以外のケイタイにはつながらないし。それに番号のはじまり方からしてケイタイとは思えないだろ。もしかしたら時間とともに番号が変わるのかもしれない」
「いろいろめんどくさいのね」
「まあいいじゃないか。電話代かからないんだからいくらでも話していられるし」
 確かにそうだ。
 でも、番号が時間ごとに変わるなら、わたしからユウキに電話をかけることはできないのか……。

 ユウキとは世間話にもならないくらいたいした話はしてないけど、それはそれで楽しかった。幽霊はお腹もすかないし、喉も渇かない。雨にも濡れないらしい。なかなか便利な体だと笑っていた。
 話題はいつのまにかわたし自身のことになっていた。
 わたしは正直に自分がイギリス人と日本人のハーフだということを話した。ユウキは特別驚かなかった。たとえわたしが宇宙人だといっても驚かなかったと思う。だってユウキは幽霊なんだから。
 ユウキと話しているとなぜか落ち着けた。彼が柔らかいしゃべりかただからだろうか。確かにそれもあるだろうけど、おそらくもっと深いところでユウキとわたしはつながっているような気がした。
 ハーフとして特殊な位置に存在するわたし。
 幽霊として特殊な位置に存在するユウキ。
 そう思うとわたしたちは似ていた。
「じゃあそろそろお風呂入ってくるね」
「うん。今日も電話に付き合ってくれてありがとう。ばいばい」
「ばいばい」
 別れを告げても、わたしはユウキが電話を切るのを確認するまでケイタイを耳にあてていた。
「…………」
「…………」
「何で切らないの」
「いや、エリが切るの待ってたんだ」
 なるほど、お互い相手が切るのを待っていたのか。なんだかおかしくてくすりと笑ってしまった。
「じゃあもう少しわたしと電話の相手してやってよ。今日は……、なんだかユウキといっぱいしゃべりたい気分なの。お風呂はまだいいや」
「よし、なら俺が最近見た映画の話してあげるよ。僕の存在は誰にも気づかれないから入場料無料なんだよね」

   4

 学校はホントつまらないけど、最近楽しみができた。
 それはユウキとの電話だ。
 ユウキと電話することは日常の一部になっていき、わたしは毎夜、彼から電話がくるのを待ち遠しくなっていた。幽霊とかそんなことはわたしのなかでどうでもいい問題となっていた。ただ、彼と話したい。それだけ。
 番号はやはりそのつど違う。【23566031212】や【15865547321】などなど。
 ユウキと電話するにつれてわたしは自分という人間を彼に表していた。わたしがハーフだから学校で浮いていることも話した。するとユウキは心配してくれたり慰めの言葉をかけてくれる。あんまり悩んでないよと言うとユウキは心から安心したような声を出す。
 間の悪いときに電話がかかってきたりすることもあった。それはお笑い番組ヨシムネがやってる最中だった。
「ねえユウキ。前にも言ったけどさ、ヨシムネやっているときに電話するのは反則だよ」
「え? もうヨシムネは三十分前に終わってるはずだけど?」
 そんなはずはない。いま始まったばっかりだ。
「エリは地方に住んでるのかな? 地方だと番組の放送時間が違うことあるからきっとそれだ」
「そこまでうちは田舎ってわけじゃないけど……、そうかもね」
「とにかくごめん。あとでかけなおすよ。ちなみに今日のニーソコタローは……やばいぜ」
「ちょ、ちょっと。ネタバレはしないでよね」
「あははは。わかってるわかってる」
 本当に何気ない会話だった。
他人から見たら無駄な会話と一蹴するだろう。けど、わたしにとって無駄な会話のひとつひとつが愛おしかった。


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