切断/呪詛
鏡典
9
再び侵入する牢――その薄暗闇の中。
倒れて床に転がった男の死体を壁際へ蹴飛ばし、ジュジュは施設の奥を目指す。
最奥へ至る地下への階段とを隔てる鉄格子扉――そこにためらいなく手をかけて押し、抵抗感に声を漏らす。
「鍵……」
そう呟くと、格子の二本を縦方向に掴みなおし、軽く力を込める――格子がひしゃげてそこが取っ手となる。そこを掴んだまま片手で手前に引けば、扉が枠から外れて鈍い音を立てる――少女の華奢な容姿には似ても似つかない獣じみた所業。
鉄格子扉を無造作に脇に投げ捨て、ジュジュは地下へ至る階段を下る――靴音が深く長く反響するのを聞く。ジュジュにとっては一切の障害に成り得ない暗闇が充満する中を進む――四十七段を数えた次の歩行で靴裏が踏むのは床だ。
踵が鳴らす澄んだ音が響く。
そこで立ち止まり、ジュジュは存在しない視線を左右に巡らす――Wordを用いた空間把握。
判明する地下空間の全容――恐ろしく広大。まず階段の正面から伸びる通路の、その両脇に部屋らしき空間――片側に十部屋ずつ、合計二十。それを含め同じ通路が左右に広がること十本――合計二百部屋。
ジュジュの手の中から伸びるWordの糸――その奥へ続いている。
糸が示すのは右から四本目の通路――最奥から手前三番目の部屋。迷いない歩行がジュジュの身体を運ぶ――Wordが導く“他人”の片鱗へ。
と、
リィン――。
突然の音――行く先から聞こえてきた音がジュジュの身体を蝕んだ。
取り残された“他人”が自分を呼んでいる音――より強い“他人”のWordがそこにあるのだと確信。ジュジュはさらに早足で前へ。
そしてその部屋の目前に到達――それと同時に、異常に気づく。
扉だ。
その部屋の扉に、異常なまでのWordが群がっている。
点であるWordが束になって密集し、壁と見紛うほどの大群と化していた。
リィン――。
リィン――。
リィン――。
蠢く多量のWordが鳴らす音――近づけば近づくほど鋭く耳朶を叩く。
扉まで数歩の距離まで近づくと、全てのWordが一斉にジュジュに気づいた。ジュジュを警戒するように輪を描いて這い回るWordの波――壁全体が総毛立っているようにも見える怪奇の光景。
不審に思いつつも、自分の持つWordの糸が示す先にあるもののために扉を開こうとする――這いずり回るWordの壁を消し去るために右手を伸ばす。
と、
――来るな!
声。
ジュジュの指先が壁に触れる直前にどこからか聞こえてきたその声――突然のことにジュジュの動きが止まる。
「誰かいるの?」
呼びかけ――五秒待つ。
眉をひそめて俄かに警戒するが、声も壁も何の反応も示さない。
さらに不審に思いつつもう一度手を壁へ。
――来るな!
すると再びの声。
「いやよ」
今度はためらわずにWordに触れる――指先が触れたものから瞬時に消去していく。触れた瞬間にWordの動きがさらに活発になり、ジュジュの指先に飛びつくように動く。Wordがジュジュの手にまとわりつき、そして触れたものから次々に消えていく。
と、ジュジュがここで気づく――超高速でWordを消去していっているにも関わらず、壁の厚みが俄かに増している。右手一本での処理速度に限界が見え、両手を使って処理能力を最大に引き上げる。もはや人間のものでない驚異的な情報処理能力――文字の分量だけでなら既に秒速五冊を超えている。
だがそれを僅かにだが上回るWordの壁の文字量――ジュジュの処理能力を突破し、ひとつの文字列がジュジュの頬を掠めた。
――来るな! 来るな! 来るな!
それを皮切りに次々に文字列が噴出――ジュジュの指の間をすり抜けるようにあふれ出してくる。
「っ――、あっ」
ついにはその勢いに両手を弾き飛ばされ、異常な量のWordの突進を全身に浴びる。その勢いに負け、ジュジュの身体が押される――そして、その右足が一歩を下がった。
直後、
《背後を信ずる者であるゆえに》
《背後を信ずる者であるゆえに》
《背後を信ずる者であるゆえに》
ジュジュを襲っていたWordがそう読み取れる文字に変化し、ジュジュを呑み込んだ。
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