切断/呪詛

   鏡典

   2

 少女がいる。
 その頭上は快晴――どこまでも快晴。
 その直下――馬車の荷台に寝転がって足を投げ出し、靴の踵で地面をガリガリやっている少女だ。まず目に付くのは右側だけ細かく編みこまれたブラウンの短髪――そこに加えて肌の露出の多い軽装が、活発な印象を与えるその風貌。少女の脇には鞘に納まった剣があり、その側面には紋章――“アヴィニョン=ケイトリクス全上統一学園”の意匠。
 その紋章に不釣合いなほどの少女の気品のなさ――数えること三時間以上この体勢のまま。ガリガリしているうちにふと靴が脱げて取りに行かせること四度。筋金入りの性格の雑さ。
 脇に転がった剣の鞘――そこに接続されているディオルセイア社製のネームホルダーが作動中――少女の名前を点灯させている。
 ふと、少女はそれを見て吐息。
 暇を持て余している指先が、クセになっている動きをとる。触れるのは左耳のピアス――触れていると何かを思い出しそうになる、猫の瞳のような、ラピスラズリのピアス。
「あーあーあーぁぁあぁああーっ!」
 少女の声――ひたすら快活。
 少女はそう叫ぶと、ふ、と息をしてついに上半身を起こした。両手を後ろにつき、やる気なさげに脚を組む。
「ああっそんな挑発的な格好で私を、私を誘ってるんだねっ! 解ってるよ大丈夫私ならちゃんとその期待に応えてあげ――!」
 と、彼女に飛び掛りかけて拳で叩き伏せられたのはその隣に居たブロンドの少女――アニスアルドだ。
 少女は慣れているらしく暴走中のアニスに一瞥もくれずノーコメント。その代わりにアニスの反対方向へぼやくように、
「どっかのバカのエサ代が抑えられればもっと早く着いたし早く帰れただろうになぁー?」
 その言葉の向かう先は、一人の男だ。
「……それは拙者のことを言うているで御座るか」
 よく通るその声を発したのは、少女の二倍ほどはありそうな巨体の少年――サキスケだ。全人ではなく、オアンネス▼魚人であるが故の巨躯を揺らす彼は、荷台には乗らず、その脇に並んで歩いている。オアンネスと言ってもサキスケの場合、人らしいのはその姿勢と言動のみで、身体のパーツは魚のそれにより近い。
「そう言ったつもりだけど。あぁ、サカナだから人語が不自由なんだよね忘れてたよ」
 茶化すように言うが、その目つきとつり上がった口の端はマジギレ全開中の証だ。
 それを受けて微妙に申し訳なさそうなところのサキスケは、
「あ、あれは拙者に非はないのだ。責められるべきはあの店主で御座ろうが」
「大食らいなのを褒められていい気になるからだバカ! 『勧められた他の料理はタダだと思った』なんてどこの惑星の人だお前はァ!」
「……何度もすまんと言うたではないか」
「ただのすまんじゃ済まないのが人間界だぞ、覚えとけ?」
「困った奴で御座るなキサマは……」
「うるさいサンマ!」
 ぴく、と、サキスケがその単語に反応した。大きく身体を揺らし、少女と顔面をつき合わせる。そして、いいか? と前置きし、静かな声で言うには、
「拙者の身体は古来より人を砕いてきた鮫の血と牙を受けて成って居る。それを極東の秋の味覚なんぞと同列に並べるのがどれほどの侮辱かこれまでも散々教えてきたで御座るな小娘? ん?」
「知るかボクのが二ヶ月年上だ。フカヒレ食うぞコラ」
 睨み合う中でサキスケは右手を腰の大刀へ。少女は脇に転がっていた剣の鞘を掴み、素早い動きで立ち上がる。次の一瞬には互いに刃を抜き打ち合いそうなその雰囲気へ、
「まーまー、ここはウチの可愛さに免じて二人ともやめや、な?」
 割って入ったのがリーネイルだ。二人の会話の間もずっとサキスケの肩に乗っていた小柄なリーネは、容貌も声も服装もちょっと見た目には完全に美のつく少女だが、
「女装野郎は入ってくんな」
「サキスケやっぱコイツ斬ってええぞ」
「応」
「舐めんな三枚に下ろすぞおいサンマ」
「ああっそんな猟奇な目つきも素敵……!」
「キサマ……、三度目は無いで御座る。そこに直れ」
「サンマぁ――――!」
「憤怒――――――!」
「よっしゃ晩飯決定――――!!」
 リーネがサキスケの肩から跳び下りたのが合図となり、抜き放たれた刀と剣が打ち合った。二条の軌道が接触した一点で互いの膂力が衝突。その巨体に任せて振り放たれたサキスケの甚大な一撃を、受けて支えることを可能にしたのが少女の華奢な身体にはありえないほどの怪力――それを実現している少女の剣の柄に接続されたディオルセイア社製のネームホルダー――シェイ・ロー国内のハンザ同盟加盟都市の商店で買った“膂力事実”のアタッチメント・ネームが作動中。その名が持つ仮想現実のWordが少女に作用している。
 拮抗する二つの刃――互いに次の攻撃を見極めるための忍耐。
 そして先に仕掛けたのはサキスケだ。
 身体を僅かに前に倒し、刀を支える両腕を引く。即座に身体を右へ捻れば、少女の重心が剣に引かれて前へ。
 そこへ叩き込む次の一撃――右後ろ回し蹴り。
 前へ踏み出しかけていた少女がその勢いのまま身を屈めて回避――間一髪の回避。
 いつの間にかリーネとアニスの二人は荷台の前へ移動して観戦モードに。
 さらに少女はその勢いを殺さず、サキスケの蹴り直後の隙を狙って刺突――鳩尾へ一直線。
 サキスケの瞬時の対応――右脚を振り抜き、そのまま左拳を振り上げ、返す動きで剣に叩きつけ左へ払う。
 剣に身体を引っ張られる少女――右足のステップで荷台から跳び、サキスケが追随。
 そして再びの剣戟――、
 と、
 同時に二発の銃声。
 ぴたりと剣を振りぬこうとしたままの体勢で動かなくなる二人。
「今から体力消耗すんじゃねェよそこの失敗頭二人」
 馬車の進行方向から聞こえる声――ゆっくりその声のほうを見る二人。
 見えたのは片手――馬車の先頭部分からこちらを見もせずに覗かせている片手と、そこに握られた拳銃。明らかに少女とサキスケを狙ったまま硝煙を吹く銃口。
「――あ、」
「あ?」
 と、そこでようやく拳銃の持ち主が座席から顔を覗かせる。長い髪を後頭部でまとめたシニヨンがトレードマークの少女――“班長”サラサフロアだ。五人の中で唯一の学生服姿。左の胸に紋章――“アヴィニョン=ケイトリクス全上統一学園”の意匠。
 前へ向き直ったサラサに向かって少女とサキスケが並んで言うには、
「危ないだろーが! 当たったらどうするつもりだお前!」
「そ、そうで御座る! 危うくコヤツの晩飯になるところだったで御座るよ!」
「いやー、会長に持たされたけどこんなところで役に立つとはなぁしかしやっぱすげェわ粋術ってのはさー」
「このヤロウ聞いてねェ……!」
「はっはっはバカ言うなよお前ら、ちょっと考えて見ろよ。もちろんワザと外してやったんだぜあたしは?」
「な……、お主、拳銃の訓練でもしていたで御座るか」
「うん、まぁ何つーかこう、――神のカンで」
「殺、」
「害――――!」
 足並み揃えて跳び掛ろうとする二人へ向けて再びの銃声。
「死なわァ――――!」
「……あ、あれ? 当たった?」
「大丈夫だよサラサちゃん、避けてるから! 素敵! 神回避よ、神回避!」
「サキスケやるなァお前いまマトリクスやん、マトリクス。でも班長流石にもう止めたってやりましょうや、笑えるけど」
「アニスお前人の当たり判定見極めようとしてんじゃねぇ――!」
「拙者仲間に想われてるなぁとかちょっと感動しようとしたら最後が本音で御座るかキサマぁ――!」
「あーもういいから黙って支度しろお前ら。見ろ、もう着くぞ」
 サラサに言われて四人が前方を見る。間近に見えるその影――町の影。
 一行の目的地――信仰のWord持つその地。
「応、あれで御座るか。しかし話通りの辺鄙な所で御座るな」
 再び馬車と並んで歩き始めるサキスケ――純粋な感想。それに反応したらしいサラサ――携帯ノートパッドを通常起動し、仮想パネルを操作してファイルを呼び出し。
「現在の総人口数百人程度、名産特になし、つーかここら一帯は秋終わりから長いこと寒冷化しすぎてそっち方面には向かんらしい、南側からぐるっと国境線になぞられてるしな。しかもこの数年でただでさえ少なかった人口が奇妙なくらいにガンガン減ってて、その所為かは知らんが今年初めには若い連中が連れ立って町から消えたって話だ。んでもって神警連の広域指定暴力団が西側と東側に一団ずつあって縄張りで板挟みになってる。そんな壊滅状態の町がどうして今も生き残ってるかってーと、例のなんたら教がどうのってワケだが――」
「怪しいで御座るな」
「そら確かに、お偉方も何かあると考えんのが普通やんな」
 リーネとサラサ――二人で顔を見合わせて意地汚い笑み。
「それじゃ、軽く解決してテキトーに国内観光して帰って奨学金だね」
 立ち上がり、そう言い放った少女――こちらも手元で仮想パネルを操作中。
 上統学園の紋章入りの鞘――ベルトの背後部分に接続、螺子のように一回転させ、かちりと音がするまで固定。その柄に接続されたディオルセイア社製のネームホルダー――先程使用していたアタッチメント・ネームは消灯し、メイン・ネームのみが点灯中。ディスプレイに点灯させていなければ持続できない、その名前。
 その名前――少女が自分の名として使用している名前。
 少女の借り物の名――ロゼット。

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