切断/呪詛

   鏡典

   12

「――ッざけんな!」
 サラサの激昂――怒りと焦りの発露。
 その叫びと同時に壁に背中を叩きつけられたロゼット――衝撃に僅かに顔をゆがめる。
 ロゼットがアニスに肩を借りたまま拠点へ帰還した後――その様子へサラサが何があったのか問い詰めた。傷だらけのロゼットの姿を言い逃れできるはずもなく、アニスが全てを白状――今に至る。
 サラサに胸倉を掴み上げられ壁に押し付けられているロゼット――視線を伏して不貞腐れ。アニス――二人の脇で困惑顔。リーネとサキスケ――それぞれ様子を見たまま所在なさげ。
 静まり返った空気の中、ただひとつ響き渡るサラサの怒号。
「お前っ、自分が何やったか解ってんのか? ローマの班長クラスに喧嘩吹っかけてんだぞ? ぶん殴って剣抜いときながらいまさら御免で済むような問題だと思ってンのかてめェ!」
 ロゼットの無言。
「いいか解ってんだろうな知らねえとは言わせねえぞコラ。ニカイアとネイズビーが手を組んでんのは明白だ。奴らはすぐにでもどっかを侵食して勢力圏にしようと躍起になってる。コンスタンツは昔っからローマに南下しようと企んでるよな。そのために邪魔なあたしらを潰すタイミングをじっと待ってやがる。どこか一国でも傾いてこの均衡状態が崩れれば、まずどこが攻撃されるか解るよな? ▼まずはアヴィニョンだ!」
 サラサの腕に力が込められる――ロゼットが息苦しさに小さく声を漏らす。
「その上本国の防衛のためにここみたいな地方まで派遣できんのはあたしらみたいな少数だけだ。他国は最悪後手に回ったとしても壊滅だけは防げる。だからこんな場所にも人を割ける。ならこんな五校全部が集まった場所で戦闘が起きればどうなる? まず狙われるのはあたしらだ! ▼戦闘になればあたしらは死ぬんだよ!」
 サラサに身体を床へ投げ出されるロゼット――抗う力もなくそのまま床に倒れる。
「てめェは! その戦闘の最初の一発をぶち込みやがったんだ!」
 サラサの咆哮――倒れ伏すロゼットを蹴り飛ばしそうなその雰囲気へ、アニスが無理に割って入る。
「で、でもっ、ローマの人もちゃんと解ってくれて――」
「てめェには聞いてねェンだよ!」
「っ、う……」
 一蹴。
 荒々しく悪態をつくサラサ――アニスを乱暴に押しのけ、崩れるようにソファへ身体を落とす。そして携帯を通常起動して誰にともなく言うには、
「……とにかくだ。戦闘が始まったらあたしらはすぐに撤退する。他校の状況が解らねえから何とも言えないが、事が始まるまでの間に“仰典”に関してどちらかを……、何としてもやる必要がある」
 サラサが示した“どちらか”の意味――“入手”か“消去”。そしてその言葉が暗に示す意味――何ら成果を上げずに他校勢力に機会だけを与えたまま学園へ帰還することが示す意味。敵対勢力に道を譲った学生の末路――反逆の意思ありと見なされ、特待資格の剥奪及びその将来のキャリアに影響するレッテルを与えられ、状況によっては禁固。
 俄かに静まる室内に起こった憂鬱な吐息――リーネ。
「入手は……、相当厳しいな。肝心の信仰内容も不明瞭やし、信者もあのザマや」
 サラサの細く長い吐息――リーネを全肯定。
「“仰典”を入手した上で何の問題なく帰還する……、満点の結果はもう諦めるしかない。確実な成果を確保することだけ考えよう。“仰典”は消去する」
 決意ある一言。
 サラサは制服の内側から筒状のパッケージを取り出し、その中身をテーブル上に広げる。バラバラと音を立てたのは小型の機械が五つ――学生指定武器に設けられた拡張スロット対応のアイネイア社製限定用途書機“Nc14D-FOXY”。
 即ち、収集専門のネーム・ホルダー。
 その機械が用意されたことが示す意味――それを見た全員が一瞬で理解する。
 そして続くサラサの言葉――、
「第二段階に移ろう」
 淡白。
 その言葉が示す意味と比べ、あまりに冷静沈着。
「順序は狂うが仕方ない。そうすることで他校の動きも妨害できるし、直接の戦闘が始まる可能性も低くなるだろう。最悪戦闘が始まったとしても、あたしらが先に動いてしまえば“仰典”の消去に失敗することもなくなるはずだ。そうなれば撤退しても問題はない」
 サラサの口調に平静が戻りつつある――状況を回復させることに成功しつつあることの証左。自分自身に言い聞かせるように話しながら、書機をリーネ、アニスへ投げ渡していく。
「まず今日の深夜に街の要所に緊縛のWordを書き込み、奴らの動きを限定する」
 サラサは書機二つを持って立ち、テーブルを回ってそのひとつをサキスケに渡す。
「そして明日の朝、礼拝で信者が一箇所に集まった時点で行動開始だ。できるだけ連中に気付かれないように」
 そして壁を背にして座り込んだままのロゼットの前に立ち、しゃがみ込み、
「解ったな」
 念を押すような低い声の一言。
 ロゼットはじっと無言。
「よォ、今回はたまたま方法があったぜ。だがな、ただひとつの僅かなミスも許されない局面に、あたしらはこれから何度も直面しないとならねェんだ。あたしは自分にそういう▼お役目を課したし、そのつもりでチームを組んだし、それが出来ると思ったからこそお前らを選んだ。それはてめェにも一番最初に言ったことだよな?」
 ロゼットの無言。
「お前の軽率は、お前の役目以上のことが出来るのかよ? あたしらは――」
「ボクは」
「……あ?」
 ロゼットは視線を逸らしたまま、僅かに目を上げ、
「ボクは、アニスがあいつに絡まれてたから助けた。あのまま放ってたら何かされてたかもしれない。それが解ってても、ボクは何もしないで見てなきゃいけなかったのかな」
 サラサの無言。
 ロゼットの視線がついにサラサの顔を捉える――迷いと憂鬱さが混然となったようなその表情。
 サラサが何かを言いよどむように、数秒を奥歯で噛み切る。
 そして、
「▼その通りだよ」
 ロゼットの髪を掴んで引っ張り上げて一言。
「戦って負ければ死ぬんだよ。他校生を殺したらどうするか知ってるよな。死体は焼き払って、骨は磨り潰して、▼そいつの名前もバラバラに分解してリサイクルだ」
 サラサは髪を離すとまたロゼットの胸倉を掴み、その身体を立ち上がらせる。
「そいつの痕跡は一切残らないようにする。それがどういうことか、あたしらは全員知ってる。だからアニスは何もせずに耐えた。逆らってぶん殴って戦って負けて死んだらどうなるか、あたしらは全員知ってるからだ! ▼お前とは違って!」
 その一言に、ロゼットが強く反応して顔を上げる。
「班長、やめや」
 リーネの険しい声音――サラサがその後に続けようとしている言葉がどれほど危険なものか、気付いている様子。
 サラサの無視。
「あたしらには……、あたしらのやろうとしてることには名前が要るんだ。あたしらにとって、名前に代わりは存在しない。だからこれを壊されることだけは絶対に避けないとなんねェんだ。お前みたいな――」
「サラサちゃん!」
 アニスの咄嗟の制止――僅かに遅い。
「お前みたいな、偽物の名前とは違うんだよ!」
 衝撃――ロゼットの全身に、ノイズのようなざわめきが起こった。
 何かを言おうとし、
「――――っ」
 言葉に詰まる。
 瞬きを忘れて見開いたままの目が乾いていくのを感じる。それと同時に、目の奥から熱が湧き上がってくるのが解った。身体から力が抜け落ちて呆然――サラサの言葉だけが、空洞と化したロゼットの中で反響。
 ふと、ロゼットの中に思いが生まれた。
 その思いが作用する先――肯定。
 不意に意識が戻ったようになり、ロゼットは奥歯を強く噛んだ。サラサの答えを肯定したロゼットの思いがひとつの答えとなり、身体を刺激する。
 ロゼットはサラサの手を強く払い、駆け出した。
「ロゼットちゃんっ!」
 アニスが読んだ名前が誰のものなのか理解できないまま外へ。
 感覚がはっきりしないまま走る――暗闇の下にある冷気を孕んだ風が、肌を攻撃していることだけが解った。指先が何よりも先に冷たくなり、そのことがロゼットに拳を強く握らせた。
「……ボクは」
 ふと漏らした言葉――群がるWordは皆無。
 目元に熱と、痛みに似た刺激が来た。
 意思のない言葉が舌の上で動く。
「――ボクは……――」
 発してはならない最大の疑問が不意に口をついて出かける――阻止するものは何もない。
 だから言葉が続く。
 ――ボクは一体、誰なんだよ……?
 答えるもののない疑問は闇に紛れて霧散。
 発した言葉の響きだけが彼女の中に残った。
 今もその背にある剣の柄ではネームホルダーが点灯中。
 彼女を蝕む呪いのようなその名前――ロゼット。

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