暗い海と、女と女の子

   ヨコチ

 #5

 窓の隙間から差し込む日光の眩しさで目が覚める。季節によって差があるみたいだけれど、よくできた目覚ましだった。
 布団を被っても、薄い掛け布団の生地を光が簡単にすり抜けてきた。
 仕方なく起きてみればそこは六畳ほどの和室で、あたしは部屋の真ん中にしかれた布団で寝ていた。
 日乃島に来て二週間ほど、あたしが過ごしてきた部屋だ。叔母さん達は既におきているみたいで、一階から朝ごはんのいい匂いが昇ってきている。
 また眠気に教われないように一気に体を起こして布団を片付ける。
 枕元には家から持ってきた雑誌や小説、ブラシや音楽プレーヤーなんかが放ってあるので踏まないようにする。
服なんかを詰め込んである二つのトランクは部屋の隅に置いたままだ。
そのトランクの上に、ブラックジーンズとそれに合わせた灰色のキャミソールが乱暴に脱ぎ捨てられていた。
 昨日は帰ってきてすぐ、着替えて寝てしまったのだ。潮風に痛んだ髪がぎしぎししている。
 「後でシャワー浴びなくちゃ。少し汗もかいてるし」
 言いながら、脱ぎ捨てられた洋服を片付けようとしたとき、
 『…………一年前』彼の言葉が頭に浮かんだ。

 『…………一年前、僕の恋人がこの海で行方不明になったんだ』そう彼は言った。
    *
 彼の恋人は夏という名前だった。大学で知り合い、そのうちお互いに好きあうようなって、どちらとも無く付き合うようになったそうだ。
明るく元気で、誰とでもすぐに仲良くなれる素敵な人だったという。
 話しているときの彼の表情だけでもそれが分かる気がした。
 ――――何かが軋む。
 大学を卒業した京介さんと彼女は一年前、この日乃島に旅行でやってきた。文明とは程遠いこの島で、ゆっくりと休暇を過ごしたかったそうだ。
 昼は海に出て海水浴や島の散策。夜はバーベキューや花火、島民が主催していた肝試しなんかにも参加して、彼女達は目一杯満喫していた。
 ある日、彼女が夜の浜辺に行ってみようと言った。
 「今日みたいに、静かで明るい夜だったよ」少し欠けた月を見て彼は言った。
 ――――耳を塞いでしまいたい。
 彼女は楽しそうに波打ち際で遊んで、彼はそれを眺めていた。
何故かその時、彼は海に近づくことをしなかったらしい。少しだけ彼の顔に後悔の色を見た気がした。
 そのうち彼女はスカートが濡れるのも気にしないで、少しずつ沖の方へ足を踏み入れていった。
 子供のように飛沫を上げながらはしゃぐ彼女を、彼はあたしが初めて見かけた時のように砂浜に座って眺めていた。
 そうしているうちに、彼は眠くなってきてしまった。少しの間彼女から視線をはずし、目を擦る。
 夜の海は冷たく、風もあるから冷えるだろう。そう思った彼はそろそろ海から上がったほうがいいと彼女に言おうと思い顔を上げた。
 上げたその視線の先に、彼女はいなかった。
 ――――全然、面白くない。
 はじめはどこかに隠れているのかと思った。でもそれは、周りの開けた視界が否定している。どこを探しても彼女の消えた先は海しか思いつかなかった。
 彼女を探すためにその日初めて彼は海に入った。冷たくて暗くて、深々と広がっている夜の海を探した。
 何時間もそうして探して探して、体が濡れるのも、どんどん下がっていく自分の体温も無視して探して。
 分かったことは彼女がどこにもいないということだけ。
 彼の目の前には、夜の暗さを含んだような海が広がっているだけだった。
 ――――ああ、聞きたくなかった。
 「その後警察に連絡して、島民の人たちも捜索に参加してくれたけど、結局、彼女の痕跡は発見されなかったよ」
 衣服やアクセサリー、手がかりになるようなものは一切、言うまでも無く遺体すら発見されなかった。
 それが京介さんと、夏という女性の別れの形だった。
 「僕がここで海を眺めているのはね。彼女が、現れるんじゃないかと思っているからなんだ。いなくなってしまった時のように、目を閉じてもう一度開いた先に、無邪気な姿のまま…………」
 そう言って彼は笑っていた。いつものように柔らかくそれでいて優しく、そしてどこか寂しそうに笑っていた。
 それを聞いたあたしは、なんだか気持ちが悪くなった。胃の中に得体の知れない何かを無理やり流し込まれたような感じがしたのだ。
 気味の悪い、イラつきとはまた違う、消化に時間のかかりそうな感情が頭の中でぐつぐつ煮詰まっているようで、一秒でも早く砂浜から立ち去りたくて、さよならも言わずあたしは家に帰ったの。
 その感情の名前をまだあたしは付けていない。付けてしまったらその時点で、あたしがその感情に色づけられてしまうようで恐かった。
 帰り際に一度だけ振り向いた。
 彼の背中を抱くように、一人の女の人を見たような気がした。瞬きのうちに消えてしまった、あたしの幻覚だったけど。確かに見た。
    *
 「今日も、行こうかな……砂浜」
 片付けようとしていた服を手に取ったまま呟く。
 彼は、きっと今日もいるだろう。一年も前に消えてしまった夏という女性を待ち焦がれて。
 胸の中の感情は消えてくれない。名前を付けるのは後回しにしよう。
 もうあたしの中には浮かれたような気持ちも、ロマンスを期待する乙女心も無くて、ただ焦りのような、体に悪そうな気持ちしか残っていなかった。
 そんな気持ちを抱えたまま、片づけを済ませたあたしは朝食をとりに一階へと降りていった。

 #6

 珍しく空に雲が出ていた。その雲が月の光を遮って、白い砂浜にまだらに影ができていた。
 影の落ちた場所に変わらず彼は佇んで、変わらず海を眺め続けていた。
 その姿から沸いてくる感情に、もうときめきなんて含まれてなくて、それが少し悲しかった。
 「こんばんは」
 「あぁ、こんばんは」
 形だけの挨拶をする。あたしを見た彼は少しだけ済まなそうに頭を下げた。
 「昨日は……ごめん。あんな話、するものじゃなかったね」
 「いえいえ、全っ然気にしてないですよ。全然」
 嘘だ。明るい声で答えたつもりなのに、どこかその調子には影が落ちていて、いやみに聞こえたかもしれない。嫌だなぁ。
 自分の嫌なことを隠せないなんて、子供みたいだ。急に、大人になりたいと思った。
 自分の嫌いなところを相手に見せず、なんでもないように振舞えるような大人になりたくなった。
 それはきっとかっこいいものだと思う。面白いかどうかは、知らないけど。
 それでも子供のあたしはどうしたって、出してしまう。
 「今日も、彼女を待ってるんですか?」
 「待ってる……という言い方はあってるかどうかは分からないな。僕にも、この感情が何物なのかよく分かってないんだ」
 目を伏せた彼の顔にはやっぱり暗い色が見えた。月明かりのせいかも知れないけれど、いつもよりその姿は壊れそうだった。
 「話を聞いて思ったんですけど、彼女は――――」
 そんな姿に向かって、あたしはこれから何というのだろうか。嫌だなぁ。
 「――――夏さんはもう、戻って来ないと思いますよ」
 当たり前だけど、彼は驚いたように黙ったまま少しだけ眼を見開いた。
 「え……? それは」
 「遺体があがってなくて遺留品が見つかって無くても、普通、一年間も行方不明ならその人は帰って来ないですよ」
 畳み掛けるように言う。遺体という単語を少し強調した。
 「そんな人を一年間も待ち続けるなんて、その……意味が無いというか……」
 馬鹿なあたし。
ここまで言っておいて、最後の言葉が見つからない。向こう見ずで浅はかな自分が憎い。
 本当はこんなこと言いたくなくて、言うはずじゃなかった。
 だけど彼を見た途端、あの名無しの感情があふれて、言葉になって口からこぼれた。そのせき止め方をあたしは知らない。
 「…………」
言葉が出てこない。ふさわしい言葉は浮かんでいるのに、傷付けるということが分かって吐き出しておいて、それでも最後の言葉を言う覚悟が無いあたしは、やっぱり卑怯なで身勝手な子供だ。
沈黙。不定期に波の音がそれを乱していく。相変わらず、この砂浜は綺麗だった。
「馬鹿馬鹿しい?」
そんな静けさに響いたのは彼の声だった。彼はさっきのように驚いた顔じゃなくて、いつものように穏やかに笑っていた。
「死んでいると分かっていて、それでもその人を待ち続けるのは馬鹿馬鹿しい? いつまでも過去に縛られてるいことに意味は無い?」
いつもの表情のまま彼は続ける。あたしが言うはずだったことを。
「そんな! ……その……」
 そう思っていたあたしに言い返せるわけが無い。
「そんなこと、僕だって分かっているよ」
言葉に詰まる。今彼はなんと言った?
確認するように「わかっているさ」と彼は呟いた。
「きっと彼女は生きてはいない。きっと今もこの暗い海の底で眠っているだろう」
遠くを見るような目で彼は海を見た。今はもう、その横顔に魅力は感じない。
無意味と分かっていて何故、彼は待ち続けるのだろうか。浮かんでくる質問を投げかけるまもなく淡々と彼は続ける。
「それでも…………消えてくれないんだ」
 気付けば、彼は泣いていた。
多分、自分で言って悲しくなったのかもしれない。本気で自分のことを貶めることは、逃げ道が無いから相当に辛いことだ。
ぼろぼろと何の支えが切れたみたいに雫が頬をとめどなく伝って、雲が作る影とは別に、それを吸った砂浜がまだらを作る。
「絶対に……戻ってこないと理解していても、駄目なんだ。最後に見た無邪気にはしゃぐ彼女の姿が、まぶたの……裏にこびりついて離れない。瞬きの内に、また元のように目の前に現れるかもしれないという考えが消えてくれない……消えてくれないんだ」
一年たった今でも、そんな馬鹿馬鹿しいものが彼を捉え続けている。
「何度も何度も否定した。それでも、そのたびに振り向いてしまう。頭の中のWもしかしたらWが消えることがないんだ」
 きっと彼は何度もここを離れようとして、そのたびに後ろを振り向いたのだろう。そして、ありもしない空想を抱いて海を眺め続けてきたのだろう。
 「だから僕は、ここから動けない。どんなに思っても、心が……ここから離れてくれないんだ」
初めて彼を見たときから感じていた、浮世離れした雰囲気の正体が今分かった。
単純に彼が今を生きていないだけなんだ。過去に縛られて、身動きの取れないまま取り残されて生きてきた。だからきっと、あたしはそう感じたのだ。
「君が僕のために、こう告げようとしたんだろう? 無意味に、こんな他人のために辛い思いをさせてしまって、悪かったね」
あたしみたいな皮肉の色はその言葉にはなかった。そういった彼はやっぱり笑っていて、嬉しそうで、悲しそうだった。
 また、幻を見た。愛おしそうに優しく彼を放さない、過去から彼を縛るその人を。
 想像でしかないそれは瞬きのうちに消えたけれど、その表情を見た途端、あたしの中で何かが弾けた。
 何も言わずに、体を彼ではなく海に向ける。
 何も知らない風で、何もかも飲み込んでいるような顔でその海はそこにあった。きっとその底には、彼を縛る彼女が眠っている。
一歩踏み出す。
 何もかも飲み込むというのなら、あたしのこの理不尽で、どこにも行かない感情をぶつけてもかまわないだろう。
 願いがかなうなら、深海のお姫様にこの声が届けばいい。
 波打ち際まで歩いたところで立ち止まる。後ろにいるはずの彼はどんな表情をしているだろうか。
 息を大きく吸う。波が足を軽くなぜた。一拍おいて、あたしは口を開く。
 「返せえええええぇぇぇ!!」
 そこから先は言葉にならなかった。
意味にならない叫び声をあげながら、蹴り上げたり、叩きつけたり、息が切れるのも気にしないで、凝った感情を叩きつける。
遠目に見れば、波うち際で遊んでいるように見えたかもしれない。彼の目に、あたしは滑稽に映るだろうか。
段々と海水につかる位置が上がっていた。少しずつあたしは沖に出ていた。
吐き出してみて分かったことが一つだけある。
あたしが今まで胸のうちに止め続けていた感情の名前。
それは、嫉妬だった。
「あ……」
気付いた途端、不意に足元がぐらついた。穴にでもはまったように足が取られて、体が不安定に揺れる。
支えられなくなった体が真っ直ぐに倒れていく。ゆっくりと澄んだ暗闇に吸い込まれるように落ちていく。
目の前の海が、口をあけてあたしを飲み込もうとしているようで恐くなった。
すぐに来る水の冷たさに備えて目を閉じて体を硬くした。
 もしかしたら、あたしも彼女のようこのまま消えてしまうのかもしれない。
 それはとても悲しくて、恐いことだと思う。……嫌だなぁ。
 「……………………。あれ?」
 予測してた衝撃はやってこない。何かあたしの右手をつかむものを感じた。
 見てみれば。そこには京介さんがいた。あたしと同じく半身まで海水に浸して、ここまで入ってきたようだ。
 自分が何をしているのか分からない。そんな顔だった。
その目はあたしを通り越して、何か別のものでも見ているようだ。
そして、はっとして様に、やっとあたしを確認して。
 つかんだその手を離した。
 今度こそ、冷たい水があたしを包む。彼が手を離した理由があたしにはすぐ分かった。
 (ほんとうに、すっごくイライラする)
 体を起こそうとすると、今度こそ普通に彼は助け起こしてくれた。鼻に入った塩水が痛い。
 「う、ゲホッゲホッ! うう…………」
 「ご、ごめん。その……つい」
 ごめん。彼が言ったのはあたしを気遣う「大丈夫?」などの台詞ではなかった。
 彼が言った事に間違いはないし、あたしはよく分かっていた。それが、本当にムカつく!
 「こんちくしょぉぉぉぉ!!」
 女の子にあるまじき気合と共に、あたしは彼を引っ叩いていた。そのまま、ばしゃばしゃと全速力で逃げ出す。
 波に、砂に、砂浜に待機していた梅丸に足を取られそうになりなっても、あたしは振り向かず、止まらなかった。
 そう、あたしは逃げ出したんだ。彼の視線の意味から。身勝手な自分の感情の正体から。
振り返るのが怖くて、なにも見たくなかったから。
 こんな三文芝居の急展開と意気地のないヒロインに、観客はきっと大ブーイングだろう。
 そんなんだから、あたしは砂浜にサンダルを忘れた。
 本当に、イライラする。ホットロマンスなんてあたしはもう信じない。
 信じてなんかやるもんか。

 #7 

 何に対しての嫉妬かといえば、それはあの二人の関係に対してだと思う。思うって言い方をするのは、あたし自身よく分かってないからだ。
 あたしみたいな子供からすれば、二人の関係はドラマチックに素敵に見える。
 片方が亡くなった片方を思い続ける。これほど綺麗で残酷な関係も無いと、あたしは思う。
 不完全だけどそれは一つの形であって、完結した一個の芸術作品みたいだ。
 何をどこまで思っても決して報われない。でもそれが成立していたから、それはあたしの感情の糸に触れたんだと思う。
 そこまで想ってくれている、京介さんという存在が眩しかった。
 その人を見つけた夏さんが羨ましかった。
 そして何より、死んでしまっても過去に彼を縛り続けた彼女の魅力、あり方が妬ましかった。
 途方も無く、すごいとしか言い様の無い何かが目の前にあったら、人はどうするだろうか?
 あたしは二通りあると思う。
 それを認めてしまい、自分とは別のものとして受け入れ、そして評価する。
 その存在を認めず、何とか自分との接点を見出そうとするか、その過程で壊してしまおうとする。
 このどちらかだ。
 あたしが選んだのは後のほうだった。というか、これしか選べなかった。
 羨ましがらずにはいられなかった。妬まないなんて嘘だと思った。自分がそこにいけないなら壊れてしまえば清々すると疑わなかった。
 でも結局、あたしは何をすることもできずに逃げてきた。
 足りなかったものは色々あるけれど、一番不足していたのはリアリティかもしれない。
 だってあたしは自分が京介さんの隣にいる姿を想像できない。
 だというのに、見たことも無いあたしの空想でしかない夏さんの姿は、これでもかと言うくらい頭の中に浮かんでくる。
 所詮、女子高生が見る夢に現実なんて付いてきてはくれないのだ。
 大人の夢には現実性があるのかと聞かれれば、そんなことは知らない。だってあたしはまだ子供だから。
 さて、あたしは逃げたまま、背中に色々と落し物をしたまま、この日乃島という舞台から退場することができるのか。
 きっとダメだろう。ステージに逃げ場なんて見当たらないし、幕も、照明すら落ちてはくれない。
 どんな劇でもオチくらいは付けないと、観客は満足してくれない。そもそもこの三文芝居に観客がいるのかどうかははなはだ疑問だけれど。
 まぁ、気にしないでおこう、どうせあたしが始めた、『脚本主演演出効果・あたし』の馬鹿みたいなお芝居だ。
 ホットでロマンなハッピーエンドにはならないけれど、次回策を期待させるようなフリくらいは付けておこう。
 これ位気取らないと、とてもラストシーンなんて演じられない。
 王子様は、あたしが落とした靴をまだ持っているだろうか。
 
 あたしは明後日、この島を離れる。

 #ラスト

 夏は女の子を大人にする。

 「明日、帰ります」
 「そう…………」
 「あなたはまだここから動けませんか?」
 「うん、君に叩かれて目が覚めるかもしれないと思ったけど、結句変われずにここから動けない」
 「…………そうですか。分かりました。W私W、また来年この日乃島に来ます」
 「それは、どうしてだい? 僕はもう君はこの島に来ないだろうと思っていたよ」
 「どうしてですか?」
 「色々不快な思いをした筈だし、何よりここは君見たいな若者が来て面白い場所でもないしね」
 「勝手に決めないでくださいよ。それに京介さんだって十分に若者ですよ」
 「自分で言うのも何だけど、僕は変わってるからね。何もしないって事が苦痛ではないんだ」
 「でも楽しくもないでしょう?」
 「そうだね」
 「来ないと分かってる人を待ち続けるなんて素敵だけど、やっぱり悲しいから」
 過去に生きる彼に対して、私ができる精一杯。
 「だからまた来年の夏に会いに来ます。待っててくれますか、京介さん?」
 「……ああ、……ありがとうミチル。待っているよ」
 そういった彼の笑顔は、たぶんこの夏で一番素敵だったと思う。
 今更ながら名前を呼び捨てにされるとドキドキする。
 待っているよ。この言葉が聴けただけで、もう十分だ。大げさで勝手な話だけど、私は彼に未来を与えた。
 「こちらこそ、サンダルありがとうございました」
 「うん、もう一度は来ると思ってたからね」
 「あはは、…………じゃあ、そろそろ行きますね」
 「わかった。それじゃあ、また来年」
 そんな風にして、私たちは別れた。
 初めて、しかもその場しのぎで書いた脚本にしては及第点といったところだと思う。
 結局、恋に恋した私がこの夏に得たものなんて大してなかったけど、それでもいいや、と今の私は思うことができる。
 彼と交わすことのできた約束だけで、この夏は満足だ。
 とりあえず来年の夏までに女を磨いておかなければ。
 今年はここでお終いだけど、来年始まる次の幕で、素敵になった私に彼が恋するかどうかはまた別の話だと思う。
 夏が私を、少しだけ大人にしてくれた。
 いや――――女にしてくれた、と言うべきかな?
 
お終い

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