昨日、親の夜をみてしまった人に捧ぐ

   遠藤ジョバンニ

「いいの。今日は中に頂戴」
男と女が一つになっても、唇は二つ、思考はふたつ。
本能に絡まって操作された理性が、遺伝子に残された腐った思考を、感傷的に繰り返す。下腹部が熱に襲われる。
誰に教えられたのかもわからないただ、正しさだけを与えられた正統性が、女の胎内の養分となり、意識に刷り込まれるその正当性が、いずれ女の腹を膨らましていくのだ。からだに全てが収束していく。
女は果てる瞬間に、自分の中に海を見た。男は生来からの身勝手を、至極当然に海へと熱として吐き出す。男の、熱を手放したちっぽけな身の震えは、女という文字が必要なのか。
「愛しているよ」
焦げ付いた理性のにおいが火葬場を彷彿とさせる。理性が燃え尽きて、灰になってしまうと、その中から、羊水にぬめる、人であるにはとても柔らかく可能性を抱きしめすぎている生きものが誕生する。女は、子をなした。

「愛しているわ」
女が、誕生したときから求めても、得ることの出来なかった己の原始的な願いをその腹に満たして呟いた。
言葉に男はこれからのアイデンティティを僅かながら見出す。女の中に子を生み出してしまえば、男は哺乳類の生きものとしての人生は終了する。
人類の回路はとっくに組み終えられていて、一生の形を定められているかぎりは、他者と非常に似ていても決して同一ではないものを求めたいと陰茎はびくついたのだ。二人は、家族をつくった。

「愛している」
「愛している」
 やがて子は個体となり独立した思考を繰り返す。子が女となり男となりその台詞を口にするその瞬間を、地球は待ちわびている。重力はその甘やかな束縛で子に愛を教えようとする。私は、手元を見た。

桐の小さな箱にちっぽけな綿と詰められているそれが、干乾びて使い古した愛のかたちならば、その遺伝子を見つめる私の左側に、誰かは存在するのだろうかと、思う。

空は肯定するように澄み切って星を瞬かせている。それにのって運ばれる母の作るご飯のこうばしいにおい。父が階下から大きく柔らかな声で、私を呼んでいる。不意にからだにかかる重力がいつもより和らいだ。
今日のごはんは、なんだろう。

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