ACT考

   tenkyo

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 ここに、らくがき倶楽部ゲーマー勢として一見解を述べておきたい。まず、ゲームをプレイする中でプレイヤーがどこに一番魅力を感じるか、といえば、やはりキャラクターの操作のしやすさ、動かすことの爽快感にあるのではないかと思う。そして、ゲームジャンルの中で操作の爽快感を最も享受することができるものは、アクションゲームに尽きるだろうとも思える。次世代機の登場によって、ゲームの中にマルチプレイ、協力や対戦の要素が最早「必須」のものとして求められるようになっているが、それはあくまで「操作の快感」「ゲーム自体の面白さ」の上に準拠しているものでなければならない。昨今のゲームレビューでは「マルチプレイが存在していない」ことは確かに批判の対象に成りうるが、同時に「マルチプレイが粗雑なものである」ということも批判の対象に成りうる。そこで、昨今ではゲームコンセプトの部分からマルチプレイに向けた要素を濃くし、「終わらないマルチプレイ」を目指してゲームの延命をしようとしているものも多く見られる。ソーシャル的な要素の強いゲームは確かに売れるものであるかもしれないが、それのみに没頭してしまうと業界が停滞してしまうことにつながっていくように思える。
 マルチプレイを搭載し、大成功を博した海外のゲームはいくつかのシリーズがある。だが、それと同じ形で成功しようとするには、シリーズの持つ伝統に打ち勝てるだけの「個性」を発揮した上で「面白さ」に根付いていなければならない。プレイヤーがマルチプレイを行うのはなぜか、それは「ゲームを終わらせたくない」からであると考えられる。その世界観の中でプレイを続けていたい、そのゲームの中の戦士として戦闘を続けて行きたい、ゲーム内のトップに立ちたい、というようなプレイヤーが持つマルチプレイへの欲求は、すべて「そのゲームが好き」であることに根ざしており、それはゲームを「動かすことの面白さ」に準拠していることに他ならない。つまり、マルチプレイに求められているのはいわば「本編/伝統の延長」であり、それは「本編/伝統の面白さ≠フ延長」でもある。そもそもそこに根幹の「面白さ」がなければ、プレイヤーはその「延長」を求めるようにはならないのではないか。では、これから生まれる新作の中で、「動かすことの面白さ+終わらないマルチプレイ」を上手くプレイヤーに浸透させるためには何が必要か。「モンスターハンター」は、その「終わらないマルチプレイ」を求められ続けている代表的な例であるといえる。これは協力方面にシフトしているものだが、純粋な対戦、チーム戦のみで「終わらないマルチプレイ」に根ざすものをつくることはできないか。それが、これからアクションゲームで可能になるのではないか、と考えている。

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 ところで、例としてCAPCOM製のゲームの中で、自分のゲーム歴の中に大きな存在感を残しているものは、「デビルメイクライ」「デッドライジング」といったものであり、そこから派生したクローバースタジオからは「GOD HAND」や、そのディレクターである三上真司による「VANQUISH」、海外から例を挙げれば「prototype」などがある。中でも「デビル」に関しては、アクションゲームのジャンルに著しい興味を持つようになったきっかけの作品でもある。「スタイリッシュさ」を売りにしたものだからこそ、「動かすことの面白さ」を最大限に享受することができたものでもあると考える。特に「デビル4」に関して、次世代機のグラフィックの向上もあり、「キャラを動かし/見ている」ということに最大限の魅力を与えることができていたものなのではないかと考える。「デビル4」をヒントにして考えれば、大別して「遠距離攻撃」と「近距離攻撃」がある。だが、そこにも「チャージ済みレベル1/2/3」の「遠距離」と「近距離」という選択肢がある。「チャージ済み」の場合にはキャラクターの「右腕が光る/剣が光る」という視覚的なわかりやすさがある。その時点で、キャラクターを「敵の視点から」客観的に見た場合、攻撃の種類が「遠距離」なのか「近距離」なのか、もしくは「スナッチ(特殊能力)」なのかという選択肢が生まれることになる。これを、アクションゲームでのマルチプレイに生かすことは不可能ではないのではないか。これは、格闘ゲームに近い「相手の行動の選択肢を読む」というプレイスタイルを、より新規にプレイヤーが参入しやすい、ややゆとりのあるスピード感で実現することができるようになれば、エキサイティングなマルチプレイに対応することもできるようになるのではないか。TPSでの新規作品でマルチプレイ要素を持たせようとするものに関しては、やはりどこか「飽和」をプレイヤーが感じずにはいられない部分がある。また、シンプルな要素だけでゲームを完成させ、既に売れているものは既にあり、それに後追いしようとしても距離が遠すぎる。逆に、個性を出そうとするあまりにゲームディティールを形成し、それが結果的に求められる形の「本編+終わらないマルチプレイ」の形から遠ざかってしまう、そもそもマルチプレイを搭載できるようなシステムではなくなってしまう。そこで、本来から面白いといえるようなアクションゲームの登場があり、そこからの「終わらないマルチプレイ」を、プレイヤーは求めているように思えるのである。こういった「売れるポテンシャル」を秘めている新規作品の開拓を、これからの業界には望んでいるところである。

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 究極的に言えば、売れるゲームとは当然ながら「面白い」ゲームである。そこで、ゲームの本来の面白さであるはずの「アクション」や「操作の爽快感」を追求するような作品の登場が望まれる。アクションゲームはその「操作の爽快感」を十分に持っているものであると考えられるが、しかしそれは現在の「オンラインゲーム」の時流に乗り切れていないものでもあると考えられる。昨今は同時多発的にゲームが発表されているのにも関わらず、「即時的なもの」ではなく「継続的にプレイ可能なもの」が主流で求められているようになっている。多くのアクションゲームの場合には、昔ながらの「最高難易度を目指す」楽しみによってゲームのリピート性を高めようとしてきたが、それにも限界があり、当然ながら「終わらないマルチプレイ」には勝つことができない。ゲームの売り上げのためにはダウンロードコンテンツ文化を利用し、有効なタイミングでコンテンツを配信しゲームへの興味を引き戻すことも可能な場合もあるかもしれない。だが、それは消費の速度が比較的速いアクションゲームの中では、配信の時点でプレイヤーが完全に別のゲームに移行してしまっている場合が多いのではないかと考えられる。それは、「デビル4」に関しても同じことがいえる。そういったことから、プレイヤーが遊び続けるためのものとしてはアクションゲームは適していないといえる。にも関わらず、国産のアクションゲームは様々なゲームレビューやプレイヤーのリアクションから見ても、発売前と後で高い評価を維持していることが少なくない。これは、やはりゲーム本来の「操作感」という面白さを持つアクションゲームが、プレイヤーに求められているということでもあるのではないか。FPS文化に関しては、海外のほうが勝っていることは事実ではないかと考えられる。また、国内のRPG概念とはかなり異なる海外RPG作品が多く見られるようになり、人気を博していることも事実である。だが、それに対してアクションゲームの分野では、海外作品では酷評を受けているものが多い。それに対して評価を得ることが多いアクションゲームが国内に多いということはどういうことか。それだけのポテンシャルを秘めており、まだ生かしきれていないジャンルということなのではないか。

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「動かしていたい」と思えるゲームは数あるものの、それを実際に「動かし続けられる」だけの環境が現在はない。それは、オンライン対戦が普遍的になるあまり、そのプレイヤーも本来的な部分では「マルチプレイがしたい」と思っているということだからである。つまり、質の高いオフラインゲームをいつまでもプレイするより、多少質は低くともオンラインでプレイできるものがあれば、そちらに移行することになる。なおさら現在ではかなりの本数のゲームソフトが大量に発表されている時代でもあり、移行先はいくらでもある。もしくは、そのプレイヤーが戻る先は今も人気のある伝統のシリーズのオンラインプレイかもしれない。そして、仮にそのときダウンロードコンテンツを配信したところで、そのプレイヤーは既にそのステージから離れてしまっているのである。オフラインのアクションゲームをプレイしている間は確かに熱中することができるが、人はその熱中や感動といったものを「誰かと共有したい」と考えるようになる。そこで、そのオフラインプレイが一通り終了した時点で、周りのプレイヤーが他のオンライン対戦ゲームに移行をしていた場合には、そのプレイヤーはオフラインのゲーム内に「取り残されている」ことになってしまう。ゲームの熱中や感動を共有するためには、ゲーム外で他人とレビューを交わすなどの方法もあるかもしれないが、本質的には同じゲーム内の空間でその共有を行いたいというのがプレイヤーの本音である。
 そこで、「動かしていたい」と思われるようなゲームで、「終わらないマルチプレイ」によって動かし続けられるものがつまり、アクションゲームである。国産のアクションゲームからは、まだまだ引き出せるポテンシャルがあると感じているし、アクションゲームのジャンルはここで停滞していてはいけないものだと強く感じている。
 あとはもうみんなドリームクラブやればいいと思います。


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